ソフィア外語学院の生徒は実に高いパーセンテージで国公立大学の医学部に進学しています。医師になると、名前や専門などを公開するのは普通なので、インターネットを検索すると、その後どうなったのかすぐにわかります。

先日、数年前まで本山校で教えていた久冨京子先生と電話で話している際に話題に出たので、私も調べてみました。

2010年ぐらい前に生徒に医学部進学をよく勧めていたこともあり、私の生徒もよく医学部に進学しました。当時もそうですが、今時は、国公立大学の医学部は非常に難関となっており、私立大学の医学部でも旧帝大の工学部並に入学が難しくなっています。

私が学生だった頃は、私立大学の医学部でも比較的やさしいところは、金城学院大学に入学するよりも遙かに簡単だったので、時代はずいぶん変わったものです。昔は、医師になることは、それほど魅力的なものではなかったと言う事実をよく反映しています。

私がよく面倒を見た生徒には、昭和高校の加藤治朗君がいます。彼は、公立中学で中ぐらいの成績で、ぎりぎり補欠合格により昭和高校に進学し、どういうわけか医学部に行きたいと言い出し、と言うか、私が医学部進学をよく勧めていたのが大きかったのかもしれませんが、名古屋市立大学の医学部医学科を受験し、合格しました。今は、静岡の国立病院に勤務しています。

教師の影響というのは意外と大きいのかもしれません。


引用元:整形外科・リウマチ科(静岡医療センター)

加藤君は、中学に入学した時、中2のお姉さんと一緒にソフィア外語学院に入学しました。お母さんがやってきていきなり入学手続きを取ったと言うまれなケースでした。「英語が話せるようになりたいと子ども言っているので、よろしくお願いします。」ということだけを言われて、さっさとお帰りになりました。最初の授業の日として指定した日にかわいい男の子と女の子がやってきて、長期的にお世話をすることになりました。

あいにくお姉さんは、中学3年生の秋になると、「普通の塾に行って、受験勉強をする」と言って、やめてしまいました。その後、無事、淑徳高校に入学した様ですが、成績はどんどん悪化し、「偏差値がない」レベルまで行ったらしいです。

この子たちの家庭は、学力の低いお子さんが多く、6人兄弟ですが、末っ子の治朗君以外に大学に行った子どもはいないらしいです。お姉さんもそのままソフィア外語学院に残ったら、医学部に進学できていたかもしれません。

残った治朗君は、ひたすらまじめにソフィア外語学院に通い続けました。学校の成績は、たまに良いこともあったらしいですが、中学でも高校でもだいたい真ん中ぐらいだった様です。

たまに学校の成績が上がらないと言って気をもむ親がいますが、国公立大学の医学部に合格するような生徒でも、普通、こんなものです。かくいう私も、中学や高校の成績は、ずっと真ん中ぐらいでした。しかし、入試はこれとは全く別なので、全然問題ありません。

彼の場合は、英語が話せるようになりたいから来たというので、そもそも、学校の成績のことなどどうでも良かったのです。ソフィア外語学院では試験のための勉強は一切行わないため、学校の定期試験の前や、定期試験の最中は、ソフィア外語学院の授業を休む生徒がたまにいますが、彼は、まじめで、私に言われたとおり、学校の定期試験の前も、定期試験の最中も休むことがありませんでした。大きな成果を残した生徒は、みんなこのパターンです。

こうして、学校の成績は中ぐらいで、名古屋市立大学医学部医学科に合格したのですが、あれから10年ちょっと経った今は、国立病院勤務の医師として医療活動をしているようです。

他に、そのころ、富山大学の医学部に進学した狩野智洋(かのう ともひろ)君もいました。今は、安城厚生病院に勤務する医師となったようです。彼は3年ほど教えた生徒ですが、私は時間の感覚が完全に麻痺しているので、しばしば夜中の1時半ぐらいまで教えていた記憶があります。全く暇人です。


引用元:医師紹介(安城厚生病院)

それからもう一人は中村汐里(なかむら しおり)さん。この人は1年ほど教えました。名古屋大学医学部に進学していたのですが、交換留学に行ったらしいです。ソフィア外語学院で学んだ英語が留学の時にも役に立っていたら、幸いです。

当時、私は本山校で教えていなかったため、中村さんは、わざわざ、本山のあたりから、中根校まで自転車で通っていました。この人も立派なお医者さんになったのではないかと思います。


引用元:交換留学体験談 2014年度(名古屋大学医学部)手前右が中村汐里さん。

とても細い人なんですが、あの距離を週に2回も自転車で走るとは、すごい体力がありますね。今は私もやっていますが・・・。

久冨先生にそう話したら、驚いていました。驚愕の脚力です(笑)。