前の話はこちらです。

講師の学歴や経歴を判断する能力が重要

これは講師だけでなく、塾の経営者、運営者の場合でも同じですが、講師の学歴や経歴を分析し、正確に判断する能力が塾を選ぶ際に重要となります。

そんなのは簡単。東大卒を選ぶだけでしょう?

・・・などと思っている人は、簡単にだまされます。

実績のある塾を選べばいいのだから、講師の経歴など知る必要もない。

・・・などと思っている人には、

あなたは馬鹿ですか?

・・・と言ってやりたいですね。

基本的に、経歴とか実績というのは、だまそうという意図が裏にあることが多いです。と言うか、普通、だまそうとしています。それに気がつかない様な脳天気な人は、塾に限らず、あらゆる事で死ぬまでだまされ続けるでしょう。

私は、経歴や学歴を詐称していると言うことを指摘しているわけでもありませんし、合格実績を偽っていると主張しているわけでもあります。実際には、そう言うのもありますが、現時点ではそれは特に問題にしないことにします。

そもそも、詐欺業界ですからね。当然、講師の経歴や学歴を詐称したり、合格実績を偽ったりすることもそう珍しいわけでもないのですが、ここではそんな微妙な話はしません。

今ここで私が指摘しているのは、嘘ではないが、勝手に想像してだまされるという話です。

嘘ではないが、勝手に想像してだまされる愚かな人たち

○○大学出身

「○○大学」を卒業したと思うでしょう。しかし、どこにも「卒業した」とは書いていません。これは「○○大学を中退した」と言うことです。卒業ならちゃんと卒業と書きます。こういうのはスポーツ推薦で大学に行って、勉強について行けず、卒業できなかった人が使う常套手段です。「成績不良で退学処分になった」と書くのが本当ですが、そんなことは書けないので、「出身」となったわけです。

○○年に渡米

米国の大学に留学したと思うでしょう。渡米というのは、アメリカ合衆国に行ったと言う意味です。「留学」したなどとは、どこにも書いてありません。単に遊びに行っただけのことです。Working Holidayと言うのもありますが、基本的に遊びであることに変わりはありません。

著書『○○』

著書があるなんて、偉い先生ですね・・・と思わせるのが目的です。確かに著書はあるのでしょう。しかし、自費出版だったりします。つまり、自分のお金で本を出したと言う話です。本が売れない時代にご苦労なことです。文章を読ませるだけなら、私のようにブログをやっていれば、十分なのに、わざわざそれを自費出版して、格好をつけようとしたわけです。

ちなみに、インターネット通販のAmazon(アマゾン)がそう言う自費出版希望者を募っています。デジタルデータで本の内容を渡しておいて、注文が入ると、製本機能付きのコピー機みたいなもので、一冊一冊、本を作って発送するもののようですね。

Amazonを使えば、ほとんどリスクがない上に、効果的に馬鹿をだませます。実際、この手の手法は、昔から詐欺師が多用していました。自費出版にもお金がかかった昔は、他人の本を自分が書いた本であると偽っているケースがよくあった様で、馬鹿ほどよくだまされます。こんなのは瞬時に見破れないようではだめです。

そもそも、本というのは、普通、出版社が企画して、著者に本を書く話を持ちかけます。まれに著者から本の出版の話が出ることもありますが、その場合、売れるかどうかを見極めてからの話になります。

自費出版で本を出したと言うことは、出版社には相手にされなかったか、相手にされる見込みもなかったからということです。また、今時は、出版不況のため、本を書いてもほとんど利益にはなりませんから、普通の出版社から普通に本を出していても、それは何か特別な目的があると考えた方がいいです。

その一つが売名行為です。本人または経営する会社のプロモーションというわけです。また、本を出版することで、講演などの際の料金を上げると言うことも目的の一つです。

どうせ本を書いても、わずか1000冊ですら滅多に売れないし、漫画以外で純粋な著作活動をやっている人は、今時、ほとんどいないのではないでしょうか?

Amazonで著書の『○○』のレビューが良好で★が五つもある

ああ、もう。さくらだって(苦笑)。

Amazonでノーリスクの自費出版により本を書いて、さくらを雇って、よいレビューを書いて、★を五つつけてもらっただけのことです。

Amazonの自費出版の本なんて、読む価値がないですから、普通、レビューを書く人もいません。読む価値のある本なら、出版社の方から依頼があります。読む価値がなく、売れる見込みがないから、自費出版になるのです。

で、そのさくらが自費出版の本ばかりにレビューを書いていたら、明らかですよね。著者の先生は、詐欺師根性丸出しです。

そもそも、そうでなくても、Amazonのレビューなんて、さくら満開なので、当てにしてはいけません。Amazonのレビューを参考にするのなら、さくらとそうでないものを正確に見分けられないとだめです。

学歴がない

学歴がないから、書いていないだけです。たぶん、高卒か専門学校卒なのでしょうね。プログラミングなどIT関連の本には、こういう経歴の人が多いのですが、IT関連の本でも大卒なら必ずどこの大学を出ているのか書いています。しかし、塾の講師で学歴がないのは、ちょっと冗談以外では相手にできませんね。

人気講師

「カリスマ講師」というのもありますね。このブログを始めたばかりの頃、「カリスマ英語講師」と名乗る方から相互リンクの申し込みがありましたが、笑えるのでやめてほしいです。

知り合いに河合塾の人気講師という女の先生がいましたが、授業で間違えたら、恥ずかしそうにニコニコ笑うそうで、その度に人気が急上昇。しまいには、親衛隊までできたらしいです。

しかし、教育効果とは関係がありませんね。こんな口上無視していいです。

○○学会会長

そんな学会どこにあるのやら・・・。実在しているのを確認したことが一度もありません。

大学院卒

大学院の場合、「修了」というのが普通ですが、それはさておき、大学院卒の肩書き自体は、ほとんどの場合、教える教科の学力の証明にはなりません。学力の証明になるのは、英語を教える場合に、英文科の大学院修了(例えば、○○大学大学院博士前期課程修了(英文学専攻)など)の場合などだけです。経済学科の大学院などでは意味がありません。なぜかというと、大学院の入学試験は、普通、大学院で専攻する学問の試験と英語だけだからです。たまに、これに第二外国語が加わることもありますが、やはり塾で教える科目とは関係がありません。

また、1989年頃までは大学院はまともに機能していましたが、1990年以降、学生のレベルが著しく低下したため、大学院で学ぶ資格のある学力レベルの学生がすっかりいなくなってしまい、誰でも入学させる様になってしまいました。

さらにバブル崩壊で不況の時代がやってくると、学部卒業後就職先のない卒業生を救済するために、誰でもどんどん大学院に入れるようになりました。大学も財政難の時代なので、昔のように、特別に優れた人材だけを大学院に入れるという赤字にしかならないことはやめなくてはいけないという事情もあると思います。

私が学生だった時代までは、大学院を出れば、英語系の場合、そこの先生の紹介などで大学の教師になっていた場合がほとんどですが、今や大学院は馬鹿ばっかりなので、先生も就職先を紹介しません。よって、大学院を出ても、大学の教師になれない人が膨大な数います。

なお、大学院の博士後期課程は、ほとんど自分の研究をやっているだけなので、ますます塾で教える能力とは関係がありません。

そう言うわけで、大学院卒の肩書きは、教える科目と専攻が一致する場合のみ意味がありましたが、今では、学生の学力低下で、それすら意味がなくなってしまったと言うことです。

塾の先生の肩書きで「大学院修了」というのがあったら、単に、学部を卒業した際に、どこにも就職できず、大学院に逃げ込んだという可能性が大きいことを念頭に入れるべきだろうと思います。大学院の肩書きが有効な時代は、1980年代だけで、その前も、その後も、あまり意味がありません。その前が有効でないのは、学生運動の末の就職難の場合の逃避場所と化していた時代があったからです。

TOEIC満点

日本には土人信仰(ネイティブは神であるという宗教)の他、TOEIC信仰(TOEIC高得点者は神であるという宗教)があり、笑えます。

TOEICも0点より満点の方がいいとは思いますが、世間の人が思っているほどTOEIC満点の人は英語ができるわけではありません。そもそも、ネイティブも大して英語ができないし・・・(笑)。

私は、最近、翻訳の仕事をやるようになったのですが、TOEIC満点の人がやった翻訳は、苦情が多いです。例えば、これはTOEIC満点の人がやった翻訳の一例です。

建設中のPoWにて。まだステージもお店も少なく、たき火の明かりをたよりに小さなサウンドシステムの前で休むことに。初めて聞くブリティッシュルーツ音楽にリラックスして会話をしていると”ジョーを知ってるかい?”と尋ねられた。遠くを指差す先に、その会場を装飾している彼がいた。近づいて確認してみるとジョーストラマーその人だった。慌てて”May I help you?”と売る覚えの英語で話しかけてみた。すると突然スプレーを手にして”歓迎”と答えてくれた。彼は何も見ることなく、漢字を書いた。驚いて、カメラに収めた瞬間だった。

The Place of Wonder, which was still under construction, had few shops and stages. I walked following the light of bonfires and took a break in front of a small sound system, which was playing British roots music. It was my first time to listen to that kind of music. I felt relaxed, having a conversation there. Then a British man asked me, “Do you know Joe?” He pointed at someone in the distance. The man was decorating the venue. I walked close to him. It was Joe Strummer. I asked him in halting English, “May I help you?” Suddenly, he held a spray can and said, “Kangei (I welcome you).” He sprayed the word in Kanji characters from memory. I was shocked and instantly took a picture of it.

引用元: Joe Strummer @The Palace of Wonder
※上記日本語文章の著者は翻訳を依頼した人です。翻訳をしたのは、この人ではなく、翻訳会社のTOEIC満点の翻訳家です。

まあ、めちゃくちゃですね。こんな英語のできない人は普通にクビです。

TOEICというのは、英語のあらゆる側面をテストする試験ではなく、あくまでも、簡単な業務連絡が英語でできるかどうかを測定するテストに過ぎません。だから、TOEICで高得点や満点が取れたからと言って、小説が読めるわけでもなければ、映画がわかるわけでもなく、英字新聞が読めるわけでもありません。もちろん、シェークスピアが読めるわけでもありません。まして、翻訳など全く次元自体が違いますね。

まあ、料理にたとえると、インスタント・ラーメンが上手に作れるかどうかのテストだと思えばいいです。インスタント・ラーメンが上手に作れたからと言って、フランス料理が作れるわけではありません。それと同じです。

それにTOEICの問題は、同じものが繰り返し使われていますので、ずっと受けていると、そのうち、大方の問題は見慣れた問題になり、英語力が伸びなくても、得点が伸びる可能性があります。

また、大人がTOEICを受けた場合、全然英語ができなくても、600点ぐらい取る人がいます。同じ600点を取っても、小学校2年生が600点を取るのと、50歳の大人が600点を取るのとでは、全然意味が違います。TOEIC600点の小学校2年生の方が絶対に英語ができますね。

となると、考えようによっては、大人のTOEIC満点(990点)というのは、そこから600点を引いて、実質390点ぐらいと言うように考えてもいいかもしれません。小学校2年生でTOEIC390点の子どもと、大人でTOEIC満点の人では、果たしてどちらが英語ができるのか興味深いところです。

そう言うわけで、TOEIC満点というのをあまり買いかぶりすぎてはだめです。TOEIC満点ぐらいでは、まだまだ英語を間違えまくりますので、信用してはいけません。上の翻訳の例では、どういう頭の構造をしていると、こんなひどい訳になるのか謎ですね。

合格者多数

こんなのは実績にはなりません。なぜなら効果がなくても、「合格者」は出るからです。実力を上げないと合格しないのは、低学力の人が合格する見込みの全くない学校のみを受けようとした場合だけです。普通、合格する見込みのある学校を受験しますので、合格するのが当たり前です。

「東大合格者多数」でも同じ事です。多くの人は、東大に合格する学力を持ち合わせていませんが、受ければ自動的に合格するような人は一定の割合で存在します。よって、規模の大きな塾では、毎年、東大に合格する人がたくさん出てきます。別に効果が高いからではありません。

何度も言いますが、実際、塾に効果はありませんから(笑)。

東大に1000人合格しようが、2000人合格しようが、合格する見込みの全くない低学力の人がその塾に入ったところで、東大に合格することはありませんし、ある程度目立った効果も上げることはできません。だから・・・

東大に1000人も合格させる塾だから、頭の悪いうちの子が行けば、東大に行けるようにはならないまでも、きっと少しは効果が期待できるだろう。

・・・というのは買いかぶりすぎです。

低学力の原因が、学校でも昼寝していて、家に帰っても、全然勉強しないと言うことであるなら、話は別ですが、少なくとも学校で授業を聞いている子どもなら、塾に行っても、ほとんど意味はありません。

塾の講師になるのは特殊な事情の人

塾の講師という職業は、学生の頃から自宅で塾をやっていて、おもしろいのでそのまま大学卒業後も続けたとかいうのでない限り、普通、大学卒業後の進路として第一の選択肢に入ることはありません。英会話スクールの講師と言うことなら、大学卒業後の選択肢に入ることがあるのですが、塾はまずないと思っていいです。なぜなら、同じ事が公教育の学校でできますから、わざわざ安定性に欠ける塾を選ぶ理由がありません。

そう言うわけですから、塾講師の経歴にはひねりが入っていることが多いと考えるのが正解です。

○○社勤務後、当塾○○科講師

・・・なんてのは、○○社をリストラされたのではないかと疑っても、疑い過ぎとは言えません。もちろん、○○社が嫌になってやめたのかもしれません。一般企業に就職したけれど、無能なのでやめさせられて、行く先がないので、塾の講師になったという話はたまに聞きます。

学校の先生でも、公立の学校をやめて、私立の学校に変わった様な場合は、いくらその私立学校が有名校であっても、要注意です。私立学校は、公立よりも勤務条件がいろいろ悪いですから、移る理由がありません。大学でも国立から私立に移るのは、定年退職後ですね。

塾の場合、あまりにも勤務条件が悪いところが多いので、そう言うところに就職する人は何かあると思った方がいいでしょう。英会話スクールは憧れで講師になる人が多いのですが、塾講師にあこがれる人はまずいません。よって、講師の経歴は慎重に吟味する必要があるわけです。

学歴や経歴を正しく判断できるかどうかが人生の分かれ道

本を買う場合でも著者の経歴や学歴をよく見て買うことが大切です。あくまでも私見ですが、たぶん、これが一番大切だと思います。塾の講師ならなおさらです。

本をよく読む人で頭の悪い人はよくいますが、これはなぜだろうかと考えたことがあります。同じように本を読んでいるのに、頭が悪いなんて、おかしいでしょう。しかし、たぶん、これは著者の経歴や学歴をきちんと見て本を買っていないからだろうと思います。

私は昔から人に「明晰な思考力と的確な判断力を持っている」とおだてられることがありますが、よく考えると、子どもの頃から読む本を選ぶ際には、著者の経歴や学歴を十分吟味し、その点で疑問を感じるような人の本は読まないようにしていたから、こういう頭脳の人間になったのだろうと思います。

私の子どもの頃からの判断基準は、「大学で教えていない様な人の書いた本は読まない」と言うものでしたが、たぶん、これは正解だったと思います。塾の講師を選ぶ際も、経歴や学歴を見る場合、これに類した基準が必要になると思います。

もちろん、大学で教えている様な人が塾で教えているなんてことは、滅多にありません。予備校ではたまにありますが、あくまで大人数のクラスです。5人や10人以下の少人数のクラスでそう言う先生が教えていることはまずないでしょう。採算が取れませんから・・・。

無理とはわかっていても、そう言う判断基準を念頭に入れて考えることは必要なことです。次回は、なぜそう言う基準が必要かを書いてみたいと思います。

こちらがその次回です。